さわでぃちゃお🐘ソムタム娘です。
実はここ1週間くらいで何度も足しげく通っている「ワット・スアン・ドーク」。
以前にも書いたけど、チェンマイに住む昔からの知り合い子に最近とってもおめでたいことがあって連絡を取る機会があった。
とても信仰心があつく、このワット・スアン・ドークにもよく週末に通っている子だった記憶。
そんな出来事があったのが関係してるのかどうかは分からないけど、「今きっとワタシはワット・スアン・ドークに呼ばれているのかもしれない✨」。。なんて勝手にこじつけて色々調べたりしているんだけど。
そんなこじつけを抜きにしてもここ最近何回も訪れて、その度にとてもいい寺院だということを改めて感じさせられている。それは確か。
そんな訳で今回は調べたことをしっかり文章に残したいと思った次第。
Wikipediaなどまとめサイトを見れば色んな方が書いているので、ざっとおおまかな由来などの情報は得ることができるんだけど、せっかくなので(タイ語の勉強のためにも)寺院にいくつかある由来などの解説が書いてある石碑を参考に紹介できたらと思います。
(訳す内容で間違い等あった場合は申し訳ございません&ご指摘いただけると嬉しいです)
この記事を読んで少しでもワット・スアン・ドークに興味を持っていただけたり、今後チェンマイに来る方の参考になれば嬉しいです!
ラーンナ―王朝の歴史を感じる『ワット・スワン・ドークวัดสวนดอก』
花(ドークดอก)の園(スワンสวน)の寺(ワットวัด)と書いて「ワット・スワン・ドークวัดสวนดอก」。
場所は旧市街があるお堀の西にあるスワンドーク門を出て西に1キロほどの場所に位置する。
場所
ブッダの遺品を安置するために建てられた寺院
(上記を参考に)
「ワット・スアン・ドークวัดสวนดอก」は別名「ワット・ブッパラームวัดบุปผาราม」とも呼ばれている。
西暦1371年にラーンナー王朝6代目の王「グーナー王(พระเจ้ากือนาธรรมิกราช)」(マンラーイ王族)によって、王族が所有するスアン・ドーク・マイสวนดอกไม้(花園)の敷地内に建立された。
その目的はブッダの遺品を奉納するためであり、かつスコータイ王朝から招かれた僧侶の「スマナテーラ(พระสุมนเถระ)」 のためである。
ラーンナー王朝(マンラーイ朝)がビルマによって支配され当時の国王であったマンラーイ王家の時代も終わりを迎え・・・
老朽化し廃墟となった寺院であったが、「カーウィラ王(พระเจ้ากาวิละ)」 (チェットトン朝/チェンマイ朝)によってビルマから再び独立を取り戻すことに成功し、再建することになった。
それから西暦1907年になると、「ダーラ・ラッサミ(พระราชชายาเจ้าดารารัศมี)」(チェンマイのチェットトン王朝の子孫であり、チャクリー王朝/現在のタイの王朝ラーマ5世の王妃の一人でもあった)によって、チェンマイ朝一族の墓がワット・スアン・ドークに移転し安置されることになった。
(この後紹介する白い霊廟群)
ちょっとだけラーンナー王朝の歴史について・・・
※「ラーンナー」の表記に関しては文献によって「ล้านนา」と「ลานนา」で揺れが見られる。
現在のタイの北部に位置するチェンマイ周辺の地域は昔「ラーンナー王朝」と呼ばれ、1292年から1775年までスコータイ王朝やアユタヤ王朝とはまた別の王朝として位置づけられ発展していたと考えられている。
色々調べてみたけど正直なところ、明確に「ラーンナー王朝」とされていたのはビルマから独立した時点までなのか、チャクリー王朝(現在のタイの王朝)による中央集権化が行われるまでなのか・・・よく分かりませんでした💦
西暦1558年以降はビルマ人による王朝の侵攻にあい、ラーンナー王朝の時代は(一旦)終わりを迎えることに・・・
その後はビルマ王朝と南にあるアユタヤ王朝との間でラーンナーは分裂することになっていく。
18世紀後半には、ビルマの力が弱まり、ラーンナー地域は内乱状態に陥ったためチェンマイは度重なる戦争で廃墟となっていく。
しかし1796年にカーウィラ王によってチェンマイは再興することになる。(チェットトン王朝/チェンマイ王朝)
ここから再びラーンナー王朝としての歴史が始まり、チャクリー王朝(現在のタイの王朝)の朝貢国でありながら、ラーマ5世によるチャクリー改革が行われるまで独立国として維持し続けた。
寺院を囲う外壁~王族の花園だった『ウィアン・スアン・ドーク เวียงสวนดอก』
さてここでもう少しワット・スアン・ドーク周辺について。(上記を参考に)
上記の都市計画図からも解かるようにワット・スアン・ドークを囲う外壁の4つの辺はそれぞれ570メートルに伸び、周辺は堀に囲まれ1層の土壁によって囲まれていた。
以前は王族所有の国立公園として、グーナー王の時代に造られたものと推測されており、ワット・スアン・ドークが建立された1371年頃と考えられている。
因みに、実際にニマンヘミン通り方面からステープ通りをワット・スアンドークへ向かう途中に、当時の土壁(ガンペーンディンกำแพงดิน)の跡を見ることができる。
ステープ通りを挟むようにして両側に土壁の痕跡が残っている。こちらはチェンマイ大学側。
※この周辺は遺跡として国が保護するように制定された場所らしい。(西暦1961年/1992年)
そのためこの場所に建物を建設したり、侵入、破壊行為は禁止されている。もしそのような行為をした場合、7年以下禁固刑もしくは70万円の罰金・・・
もしその対象が遺跡として登録されている場所や物だった場合には10年以下の禁固刑もしくは100万バーツの罰金、その両方の可能性も。
絶対に興味本位でここには入らないように注意!
お堀(水路)らしき跡も・・・しっかり残っている。(興奮!!)
ステープ通りを挟んでワットスアンドーク側。
大きな木に守られるように土壁が今も残っているのがとても印象的。
ワット・スアン・ドーク側の土壁沿いを歩いてみることに。
壁沿いにはほとんど民家が建ってその形跡は見ることができないが、わずかに残っている場所も。
興味がある方は周辺も歩いてみると発見があって楽しいかもしれない。
チェンマイには他には当時の形を残す外壁を見られるところがいくつかある模様。
www.watashinoarukikata-diary.com
場所
黄金の仏塔(チェディเจดีย์)と白の霊廟群(チェットトン王家の墓)
青い空に映えるこの風景よ! 白い霊廟群との色のコントラストも美しく感動すること間違いなし。
この寺院の特徴といってもいい真っ白の霊廟群には当時のチェンマイの国王であったチェットトン家の歴代の王(ビルマからチェンマイの独立を勝ち取ったカーウィラ王の末裔ね)の遺灰が納められているのだとか。
一応敷地内にも入ることはできるようなんだけど・・・恐れ多くてまだ一度も足を踏み入れたことがない。
何とも言えない厳かな雰囲気が漂っている。
そしてこれまた圧巻の黄金の仏塔。(以前は白だった)
(上記を参考に)
西暦1373年にブッダの遺品を納めるためにグーナー王の時代に建立されたもの。
仏塔(チェディ)はスコータイ様式とスリランカ様式のミックススタイルで、高さは48メートルにも及ぶ。
また、仏塔の周りを囲うように四方には階段があり、建立当初から現在(2009年時点)に至るまで何度も繰り返し修復が行われている。
その中でも最も重要なものが西暦1931年に行われた、この当時仏教界にとても貢献していた僧侶「クーバシヴァチャイครูบาศรีวิชัย」による修復作業だった。
その後も複数の僧侶たちによって修復が行われている。そして現在も・・・少し前の写真では白かった仏塔も今は黄金に・・・
って。
。。。別の日に行ったときに気が付いたんだけど、なんと裏側に日本語でもしっかり解説が書かれてた💦
ドンマイ!
どの角度から見ても息をのむ美しさ。
ただあまりにも天気が良く太陽に照らされていると、周りも白い建造物が多いせいか照り返しがすさまじくて暑いし眩しいしい。
正直この場所に長時間居るのはキツイ。(でも晴れている日に訪れてほしい)
朝方や夕方(日が落ちて来てから)の時間帯に来るのがおすすめかも。
最後に夕暮れ時の写真も載せたヨ👍
是非とも仏塔の周り(裏も)歩いてみてほしい。
とても澄んだ空気が流れているのを感じることができるはず。
仏殿・講堂(プラウィハーンพระวิหาร)
(上記を参考に)
西暦1931年に当時チェンマイを統治していたチェンマイ王朝最後の国王「ゲーオナワラット王(เจ้าแก้วนวรัฐ)」(チェンマイ王朝9代目)によって建立され、当時復興後のラーンナー王朝(チェンマイ王朝)の聖人と言われていた僧侶「クーバシヴァチャイครูบาศรีวิชัย」も招かれた。
また西暦1935年3月9日には国の重要な遺跡として登録もされることにもなった。
外から見ても分かるようにものすごーーーく大きい建物。
中に入るとまたその広さに驚く。
ここで最も特徴的なのは背中合わせに座っている仏像だ。
こういう仏像の配置は珍しいと思う。
右手には藁を。
写真の僧侶は「クーバシヴァチャイครูบาศรีวิชัย」。
こちらの仏像も。
そしてこちらの黄金の仏像はこの後紹介するチェンマイで最も美しいと言われている・・・
仏塔も昔はこのように白かったよう。
美しい・・・
何度目か訪れたこの日。
10月、雨季の終わりを感じるような気候。日本の秋を感じるような心地よく清々しい風が吹いていた。
中から見る景色もまたいい。
とにかく広々とした堂内はついつい上を見上げたくなる。
仏殿を出てさらに奥に進んで行くと本堂がある。
本堂・仏堂(プラーウボーソットพระอุโบสถ)~チェンマイで最も美しい仏像といわれる「プラチャーオ・ガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ」
(上記を参考に)
『プラチャーオ・ガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ』
『ワット・スアン・ドークวัดสวนดอกพระอารามหลวง( ワット・ブッパラームวัดบุปผาราม) 』
≪プラアーラームルアンพระอารามหลวง=王室認定寺院≫
ラーンナー王朝(マンラーイ朝)11代目の国王「ムアンゲーオ王(พระเมืองแก้ว)」、またの名は・・・(かなり色んな呼び名があるみたい)・・・西暦1504年にチェンセーンเชียงแสน(現在のチェンラーイにある群のひとつ)から腕の良い職人を呼びよせ彫像することを命じた。
大きな仏像の鋳造が進められていき、、、王の希望では本来この仏像は「ワット・プラ・シンวัดพระสิงห์」の本堂に置かれるものとして造られる予定であった。
しかし仏像が完成するとあまりにも巨大で重く、移動することが不可能であった。
そのためゲーオ王はその仏像を安置するための本堂を造り、仏像はそのままワット・ガーオトゥーに安置されることになった。
多くの人たちにこの大きな仏像は「プラチャーオ・ガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ」と名付けられ今日までずっと敬い親しまれている。(「ガーオトゥーเจ้าเก้าตื้อ」は「1億」という意味)
≪คำว่า เก้าตื้อ แปลว่า ตั้งโกฏิหรือเรือนโกฏิ หรือหลักโกฏิ≫
またタイで「ガーオเก้า」は数字の「9」を意味し、縁起の良い数字とも言われている。
仏像が安置される寺院は「ワット・ガーオトゥーวัดเก้าตื้อ」と呼ばれ、周りは外壁に囲われ、ワット・スアン・ドークの南側に位置しておりこの当時は2つの寺院として存在していたらしい。
そして現在はワット・スアン・ドークと一緒になり1つの寺院になっている。
(上記を参考に)
「プラチャーオガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ」について。
11代目国王の「ムアンゲーオ王(พระเจ้าศิริธรรมจักรพรรดิราช หรือ พระเมืองแก้ว)、ラーンナータイ王朝14代目の国王によって建立されたもの(王室の所得によって造られたもの)
西暦1504年鼠年の木曜日、8月11日の日暮れ時から着工が始り、西暦1505年の丑年の木曜日、5月5日の日暮れ時まで装飾作業が行われた。
(曜日がしっかり記載されていることがいかにもタイらしい!)
そして仏像が完全に完成するまでには8つの部位を繋ぐ作業があり、西暦1509年巳年の水曜日、5月4日の日暮れ時まで作業は続いた。
本堂内の入り口には「พงศาวดารโยนก」に由来する「象」に関するメッセージも描かれている。
(「พงศาวดารโยนก」に関しては調べてみたものの明確な日本語訳が見つからず、おそらくタイの歴史に関する書籍のことを指しているものと思われます)
※この石碑は民衆にこの仏像の大切さを知ってもらうために、Anusarnチェンマイの共同出資で西暦1882年に建てられたものと記述されている。
そしてそしてチェンマイで最も美しい仏像と言われている・・・
(上記を参考に)
『プラチャーオ・ガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ』
仏像はラーンナー様式とスコータイ様式の芸術を合わせたものでチェンマイの中でもとても美しく見事な外観をしている。
本堂の入り口にある階段下で靴を脱いで上がると参拝セットもあるのでもし訪れたたときには是非。
ある日の朝方に訪れたとき。僧侶の方ともう一人地元の方以外ワタシだけ。
もしかしたら観光で訪れる外国人の中にはワタシみたいに奥にある本堂の存在に気づかない人も居るのかもしれない。
2人は世間話が弾んでいるようで、ワタシひとりで贅沢にもこの空間を堪能することができた。
特に信仰心があるわけではない自分だけど、タイの寺院の中に漂う空気には心を静め癒してくれるような何かを感じるし、とても好きな場所のひとつ。
こちらがチェンマイで一番美しいと言われている仏像「プラチャオ・ガーオトゥーพระเจ้าเก้าตื้อ」。
色んな角度からじっくり。
柔らかく微笑んでいられる様子の口元がとても印象的で。
優しく包み込んでくれるよう。
ここから見上げるお顔が一番好き。
実物はもっと素敵なお顔をされています。
心が落ち着く空気に包まれて朝からとてもいい気分になった日。
また別の日。夕方に訪れたときには外国人の方が瞑想されていた。
しばしワタシも・・・ 👆これはおそらくマントラ。
参拝者の多くは地元の方ばかりで、たまに観光ガイド付きの外国人が訪れるくらい。
とても静かに過ごすこができる。
気持ち良さそうな猫様も。
この壁画がおそらく石碑に書かれていた何かしらのタイの歴史的な書籍に書かれている内容・・・
描かれているのはドイステープ??
「ワット・スワン・ドーク」と「ワット・ガーオトゥー」、元は別々の背景持つ2つの寺院があったということが今回訪れてみてよく分かった。
場所
最後に・夕暮れ時のワット・スワン・ドークもおすすめ
ある日の夕方。
寺院の入り口前にあるカフェで時間をつぶし日が暮れるのを待っていた。
www.watashinoarukikata-diary.com
太陽が沈んでいくとともにどんどん姿が変わっていく景色。
時間を忘れていつまでも居たいくらい。
(因みに仏塔の周りには石造りの椅子が沢山並んでいるので、ゆっくり座って時間を忘れることも可能)
朝と夕でもまったく違う印象の景色を見せてくれる。
もし訪れる機会があるときは、ぜひともゆったりとした時間の余裕を持ってどっぷりとワット・スアン・ドークに浸ってもらいたい。
かなり長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます!🐘