
ハイタイ🌺ソムタム娘です。
下書きのまま放置していた内容なのでちょっと前の話になるのだけど....というのもなかなか内容を見直してアップする気持ちになれず。
それでもやっぱりこのときの気持ちもちゃんと残しておきたいので。今日はそんな少しネガティブな話にもなります。
7月のある週末。
夜は那覇の老舗クラブでおどってはじけた日の翌日。
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いつも通りの時間に起きることはできず、、、予想どおりの二日酔い。
ゆっくりめに起きた後はせっかくの週末だけどアクティブに動くこともできず。
だらだらと気が付けばもうお昼の時間に....
そんな日のお昼ごはんにすき家はピッタシ。
7月はじめのすき家~チーズ牛丼

しっかり迎え酒も🍺
二日酔いなのになぜにこんなにビールが美味しく感じるのか、不思議。
体内に残っているアセドアルデヒドがビールですっきりと洗い流されていくよう~

すき家ではもちろんこれ一択。3種のチーズ牛丼。
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たくさん飲んだ日の翌日はどうもがっつり炭水化物系を体が欲しているいる気がする。
共感できる人もきっといるよね?
チーズ牛丼には紅ショウガもしっかりかけて。さらにチーズ牛丼だとタバスコも付いてくるのでそれもかけて味変して楽しむ。あ、あと一味も忘れずに。
ほんとーにチーズ牛丼が好きすぎる。

いつもはシーザーサラダのセットを注文するけどこの日はなぜかシーザーサラダ自体が売り切れだったので普通のサラダ。
甘いコーンがおいしい♡

セットにはわかめと油揚げのお味噌汁も。
これがまた飲んだ翌日はいっそうおいしく感じるんだな。この味、体に染みわたる~
那覇でのクラブ活動。←活動ってほど行ってないけど、
飲み放題だからついつい沢山飲んじゃう。それに加えてクラブだと帰る時間も遅くなるのは当然で。結果、クラブ活動の翌日はほぼ丸一日を無駄にしてしまうんだけど。
それでもこうやって週末にクラブへ行ったりすることや、ハナキンの外飲みでかなりリフレッシュできていた。(これもすべて友人のおかげ)
というのも、新しく始めた仕事で気が滅入っている(けっこう限界に来てた)のを見かねて、わたしが気晴らしできるよう外へ連れ出してくれていたのだ。
この日、すき家へ行ったときはまだ7月上旬。
仕事に対してもポジティブに続けていこうっていうエネルギーもこの頃はまだあったはず....
この仕事をはじめるとき、目安としていた最初の3か月。
その3か月の終わりが見えてきた頃このまま続けていけるのかがものかが、ものすごく不安になってきていた。
日本語教師の仕事をやめた話
始めた最初の1か月は、緊張に耐えながらただただ必死に毎日の授業や準備をこなしていた。
そして最初に手にしたお給料....研修も何回かあってそれも含めても1か月の家賃分にも満たず。
うんうん、最初の数か月はこうなることはわかっていたので大丈夫。
6月に入っても一向に独り立ちができそうな兆しは見えず。ひたすら自分が授業でクリアしないといけない課題達成に向けて取り組んではいたけど、出来ないことが多すぎる....
というか、そもそもこの仕事、わたしには向いていないのでは?なんて考えが頭をよぎることも多くなった。(考えないようにしてたけど)
見学者の先生がいるときといないとき(学生とわたしだけ)のときではまったく自分の中での緊張感も違うこともわかった。(新人の先生はきっと皆通る道だと思う)
授業中は、独り立ちするために達成しないといけない課題をチェックされていることに対してのプレッシャー。それを考えると授業の前日の夜はほとんど寝られず。
一定の水準にまで達しないと永遠に独り立ちはできないし授業のコマ数も増えない、という現実。
見学者の先生がいない中でいくら学生と楽しく授業ができたという達成感や充実感がいくらあっても先には進めない。(=コマ数が増えない&お給料が増えない)
今現役で働いている先生方は皆この道を通って、、、そして今があるんだ。自分だって努力すればそこへきっとたどり着けるはず。
辛抱強く続けていけばいつか必ずクリアできる!という前向きな気持ちで明るい希望も持っていたんだけど、いつの頃かその気持ちが持てなくなってしまった。
それが7月後半。
そこからは心が決まるまで早かった。
というか、あ、無理だ。という気持ちを自分で認めてしまってからはその前までの気持ちに持っていくことができなかった。
辞める!というほうに気持ちが切り替わってからは肩の荷が下りたというか、前にも後ろにも動けない、八方ふさがりのような状態から解放されてなんかほっとした。
だけど正直なところ挫折感がハンパない。
これももちろん予測していたというか、きっとこうなるだろうなーとわかってはいたことなんだけど。ふとしたときに無気力になってしまいそうになるのでそうならないように意識して過ごしている。
もう少し頑張ってみようか、という気持ちがなかったとは言えない。
心を無にしてあと1か月、、、続けることもできたかもしれないけど。そうしたらステップアップできていたかもしれないけど。
今までの経験からそれはやめておこうと思った。
これだけ拘束時間が長くて(正確は授業以外の準備している時間、なので強制されているわけではない)それに対しての対価(お給料)が少なすぎたことが大きかった気がする。
働いている(はず)のに収入がないって、心がすり減る。
言い訳だけど、これが実家住まいで大学を卒業したばかりでまだ他の社会を知らない状態だったら、、、とも思ったりした。(自分の中で何かしら理由を見つけたいだけ)
40代のひとり暮らしで月収が4万円。しかも掛け持ちをする時間さえもない。(いや、根性があったらできるのかも)
この状況が改善されるかもしれないしその保障もない。そう考えるともう頑張ることができなかった。
それから、これ以上今の状況のまま続けたらこの仕事が嫌いになるとも思った。
日本教師の「に」の字も聞きたくない。そんな風にだけはなりたくない。これまでこの仕事を目指してやってきたことすべてをもう振り返りたくなくなってしまいそうな、そんな拒絶反応。
この仕事に対しての情熱が自分にもっとあったら続けられたのかな。
自分にはそこまでの熱い想いもなかった、ということだと思う。よく考えたら動機も不純だし。
この3か月、学校の専任の先生方には言葉にできないほどいろいろなことを教えて与えてもらい、言葉には尽くせない感謝の気持ちでいっぱい。
だからこそこな中途半端な状況で辞めてしまったことが本当に心苦しい。
やった後悔よりもやらなかった後悔のほうが後に残る。
「お姉ちゃん、いつも言っているよね?」と妹にラインで言われて、思い出した言葉。
「もぉこんなに頑張ったんだからいいじゃん」
「収支もそうだけど3月のバンコク辺りからずっと大変そうだったから」
(このラインを妹からもらったときぶぁっと涙が出てきて自分でも驚いた)
そうだった。ここまでやりたかったことを出来ることはやり尽くしたんだ。
3月のタイに始まってこれまでの約半年。精一杯やれることはやったよね。そう自分に言い聞かせないと、とも思った。
周りにいくらそう言われても自分でちゃんと自分のことを認めてあげないとこの挫折感をずっと引きずってしまいそう。
挑戦してみたんだから。それでいい。
自分には無理だ、ってこともやってみたからこそわかったこと。
そんなわけで9月から再び安定した仕事へ。
働いた分だけお給料がいただける。こんな当たり前?なこともありがたく感じる。
またいつの日かどんな形かで日本語教師のお仕事に向き合えたらいいな、という想いも今は心の底の方にしまっておきたい。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます🌺