はいタイ🌺ソムタム娘です。
3月も気が付けばもう後半戦。
そんな先日、日曜日には、ここ波の上ビーチのすぐ近くにある「辻」と呼ばれる場所で行われた、「じゅり馬祭り」という那覇市に受け継がれている伝統的なお祭りを観に行ってきた。
1988年までは「那覇市三大祭」のひとつとされていたお祭りで、五穀豊穣・商売繁盛を祈るためのお祭りらしい。
コロナ禍も経てどうやら5年ぶりの開催だったらしい。
今回は那覇市辻という場所についてもちょっと触れてみたいと思う。
沖縄県最大の花街だった「那覇市辻」で行われたじゅり馬祭り
58号線方面から波上宮にのびる波ノ上通りをはさんで、南西にあたるエリアが「辻」といわれる場所。
今では見ての通り風俗街となっていて、決して治安がいい場所とは言えないかもしれない。
ただここ「辻」にはとても面白いというか興味深い歴史がある。
沖縄に興味がある方にはぜひとも知ってもらいたい歴史。
ここ那覇市「辻」といわれる場所は時代をさかのぼると、琉球王国時代に創建された「花街」。
花街??
あまり聞きなれない言葉なだけに、調べて見るとどうやら
芸者屋や遊女屋が集まっている地域を表す名称らしい。(Wikipediaより)
花街として発展した華やかな街~那覇市辻の歴史
ある資料によると琉球王国の時代、15世紀以降の唐や大和(日本)と交易を行っていた頃から中国からの使者や大和からの商人をもてなす役割を果たした「じゅり」がいたと考えられている。
その時代、那覇の北西部には辻村(チージムラ)と呼ばれる村が創られ、多くのじゅりと呼ばれる女性が住むようにり、女性が主体となった村、花街として明治期まで続いていたんだそう。
明治に入ると、政財界の要人などのお偉いさんや地元の商人などが出入りする、沖縄県最大の社交場として知られていたんだとか。
そんな花街、辻で暮らす女性たちはアンマーと呼ばれるじゅりの抱えの親を筆頭に、貧困のため幼い頃に辻に売られてきた子どもや、アンマーのこどもたちと生活を共にし、家族同然のように一緒に暮らしていたらしい。
そんな中で生きる「じゅり」と呼ばれる女性たちは、人間社会における義理・人情・報恩を第一の教えとし、言葉や立ち居振る舞いはじめ料理や唄・三線、踊りなどの芸事なども身に付けていく・・・
(一番に思い浮かんだのは京都の祇園なんだけど、それに近いのかなぁ)
その女性たちによって二十日正月に執り行われるようになった祭祀、じゅり馬祭り。
もともとじゅり馬祭りが始まった年代は定かではないものの、300年ほどの歴史があると言われているんだそう。
とはいえ、途中戦争で一時途絶えたり、反対される団体によって中止になったりとここまで続けてくるには紆余曲折あった模様。
興味深い記事を見つけたのでペタ。
沖縄の歴史に触れることができた
14時すぎに行ってみるともうこんな人がごった返していて・・・
場所が悪くほとんど見えない。涙
黄色い沖縄の伝統衣装に身を包んだ女性たちがかすかに見えるけど。。
場所を移動してみたらちょっと見えた!
どうやら場所を変えて何ヵ所かで踊りを披露するっぽい。
(馬ってこういうことだったのか!)
ほんの一瞬しか踊っている姿は見られなかったけど、沖縄の文化にちょっとでも触れることができたので良かったかな。
辻という街の歴史も今回の祭りのおかげで知ることもできたし。
こうやって住んでいても、まだまだ知らないことばかりの沖縄の歴史や文化。
またこういう機会が近くであったら観に行ってみよう。
www.watashinoarukikata-diary.com
www.watashinoarukikata-diary.com
そしてこの近くに来たとなれば・・・
もちろんこれ。
千日のたい焼き♬
んまっ。
www.watashinoarukikata-diary.com
本日も最後までお読みいただきありがとうございます🌺