さわでぃちゃお🐘ソムタム娘です。
✎2018年の1月~4月まで3カ月ほど滞在したウガンダの回想記✎
前回の話に続いて今日はウガンダで移動手段のひとつとして使っていた「マタツ」について。
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ウガンダの人たちの足:乗り合いタクシー「マタツ」
2018年2月中旬。
この頃になると自分一人での行動範囲もかなり広がってきていた。
それまでは基本的には徒歩で行ける範囲内のみ。
それが『マタツ』と呼ばれる乗り合いタクシーに乗るようになってから、随分遠くまで一人で行けるようになった。
移動に便利な『マタツ』という乗り物って?
ウガンダに住む現地の人たちの足といえば『マタツ』。
ボダボダと言われる2人乗りバイクも気軽に使えるけど、断然マタツの方が安い。(あとは一応安全???(^^;・・・)
すっかり値段は忘れてしまったけどボダボダに比べたら半額以下の値段だったと思う。とにかく安い。
乗り合いタクシーとは言われているけど日本やタイのようなタクシーではない。
こんな感じのミニバンタイプ。
カンパラ市内の中心地にはタクシーパークと言われる大きなこの乗り合いタクシーのターミナルみたいな場所がある。
そこから色んな行き先への車が出ている。
他にも小さな空き地のようなターミナルもあって、そういうところから乗っていた。
英語ができなくても・・・なんとかなる(笑)
「Makindye」、「Lubowa」って言われる地域。
自分がこの当時滞在していた場所からこの辺りへ行くには、もう徒歩では不可能レベルの距離。
距離的にもボダボダだと高くついてしまうのでマタツが最適。
基本的には複雑なルートを走る訳ではなく一本道だし、とりあえず自分が乗るマタツが自分の降りたい場所を通ることさえ分かればOK。
(正確には、目的地まで一本道で行ってくれるマタツに乗れる場所までは徒歩で行っていた。。。流石にマタツの乗り継ぎまでは出来なかった)
英語が全くできなかったワタシでも乗ることができた。
乗り合い所(ターミナル)に行くと、それぞれのマタツの前でみんな大声で行き先などをさけんでいる。
(最初はこの中から自分が行きたい場所を通るマタツを探したんだけど・・・どうやって探したのか覚えていない(笑))
しっかり自分の行き先も通るか確認して、あとは中に乗り込み出発を待つのみ。
こういう乗り合いタクシーはとにかく乗客がいっぱいになったら出発。。。っていうシステムだから、かなり詰め込むよね(笑)
めちゃくちゃぎゅうぎゅうだった記憶。
この時も確か「クィーンズ・ウェイ」という国道みたいな大通りをずっと真っすぐ走るルートだった。
自分が降りたいあたりで申告すれば降ろしてくれる。
何かお決まりのフレーズがあったんだけど忘れてしまった。
乗っている間はひたすらその時使っていた地図アプリを見て自分の現在地を確認していた。
本当にちゃんと行きたいところに辿り着けるのか・・・
最初のころはとにかく不安でドキドキしていた。
ウガンダ滞在中に気を付けていたこと
ウガンダに来たばかりの頃はスマホを外で出して触ったり写真を撮ることも一切しないようにしていた。
(サファリや観光地に行ったときはもちろん別)
特に日常生活で通る街中や道端とか。
(でも本当はこういう日常のふとした風景の方が写真に残して置きたい気持ちがすごくあった)
それも少しづつ慣れてきて・・・
外出先でも周りに人が居ないところでは出して写真を撮れるよになったり。
人が居ても周囲を気にしながら写真を撮れるようになったり。。
それでも日本やタイに比べるとかなり外でのスマホの扱いには注意していた。
だからあまりマタツの外からの写真はなし。
車内からの外の景色。(車内ではスマホ触ってたけど💦)
あとは常に意識していたのが服装。
スカートは履かない。基本的にTシャツにジーパン。とにかくなるべく目だ無いようしていた。
化粧も一切しない。(初めのころは日焼け止めも塗っていたけどそれさえも塗らなくなった)
東洋人だとただでさえ肌の色の違いだけで目立ってしまう。
あとは帽子も常にかぶるようにしていた。(友人曰く相手から自分の目線が分からない方がいいと教えられていた)
現地に仕事で来ているような日本人は、まず外を徒歩で出歩くことはないらしい。移動は基本的に自家用車。
移動が大変っていうのもあると思うけど危険回避の意味もあるんだと思う。
そう考えると自分の行動はちょっとリスクがある選択だったんだと思う。
でもせっかくこんな離れたなかなか経験も出来ないような土地に来ているんだから・・・
細心の注意は払って動くようにしていた。
暗くなる前には必ず家に帰る。とかね。
こんな感じでワタシでもウガンダの人たちに交じって利用していた「マタツ」。
こんなところではぼったくりに遭うなんてこともなくむしろほとんどの人が親切。
こういうところでは小銭を持っているべきなんだけど、大きい金種しか持ってなかったときがあった。そのときも周りの乗客の人が協力してくれたり。
もちろん危険とは隣り合わせだったんだろうけど、刺激的な日々とここでしか出来ない経験が沢山あった。
またきっとここにも戻ってくると思う。